CREATIVE COOKING COLUMN
何故、野菜はまずくなったのか
世界の先進国は、共通し健康を維持するために野菜の摂取を進めている。
予防に良いとされている野菜の品質が大きく低下しており、その上に不味くなっている、もう一度、野菜がまずくなった原因を精査しておく必要がある。
野菜を不味くしたのは、生産者だけの責任ではなく、流通業、量販店、市場、JA組織、農林省そして国民の全体の責任である。
江戸時代から続いた近郊農業地域の生産技術は、世界的に見てもレベル高く、農業に対しする取り組み方が違い研究熱心な地域が多い。ハウス栽培や促成栽培の始まりは、都市近郊から西南地域や愛知、静岡、千葉、山梨からスタートし拡大している。
生産者の多くは自身が生産した農産物を品質が悪いと指摘されることを好まない。
しかし、農産物が、経済や生産効率だけに特化して生産されると一単位や単年度の収益に走りやすく、圃場が持つ環境バランスを無視して生産量の拡大を求められ、その結果、品質が無視されやすく、安全な作物への責任制が薄れる。
圃場の生命全体が長期に安定して始めて農業は安定した栽培が持続できる。
まずい野菜が氾濫している原因は、生産性、生産量だけを重視するために、外観の形状、品質を省みずに形骸だけに走りやすく、味覚と栄養成分を作り出す、ミネラル類、アミノ酸類、ビタミン類を生成する過程が無視されている。
さらに化学肥料や農薬の利用も基本的には好んで利用していない。農薬の散布は雑菌や虫には効果的であるが散布している本人の身体に直接影響があり、農薬の危険性や影響は生産者自身が認識している。
新潟県で多くの生産者が罹患した胆嚢ガンも生産者が散布した除草剤CNPが原因であり農家とその家族の人々に影響が見られた。
日本には、化学肥料や農薬の利用に疑問を持ち、従来の農法を継続し栽培されている人々が各地に点在していた。理念として化学肥料や農薬を使用することを拒み続けたが、その結果、JA組織からつまはじきされ、村八分のなかで黙々と生産されていた。農業の近代化は、化学肥料と農薬の散布そして規模の拡大が農政の基本路線であり、JA組織は、政策に則って産地指導を行い、各地の大学の農学部もその政策に疑問すら抱かなかった。
有機農業は栽培が困難とする姿勢を貫き指導されてきた。その結果、真面目な農業生産が拒否され、挫折し、打ちのめされ、亡くなられている人々の数はあまりにも多く、有機農業の栽培技術が継承されることが少なく、現在の農業技術のレベル低下の原因にもなっている。
有機農業の生産は、収益が安定するならば、生産農家であれば誰でも始めたい仕事である。
■有機農業の必要性
有機農業は農業生産の中で一番技術的レベルが高くなければ、生産ができない。その上に除草剤や農薬、化学肥料が使えなく、多くの労働力を必要とする。
産業構造のなかでも大変クリエティブな能力が必要とする仕事である。
その上に労働力以外に、観察力、洞察力、過去の経験、科学的応用力とその分析力が優れていなければ対応できない。
しかし、農業や医療に参加する企業が生命の主体になると生産者や医療の現場は経済行為に左右され、経済的プレッシャーを生産や治療の現場に与えており、その結果が生産や治療の現場に責任制が薄れさせ、生産や治療の理念が薄れ、目的が曖昧になる。
現在の日本は、農業も医療も常に経済的プレッシャーの重圧のなかであえいでいる。
有機農業の必要性を始めて講義されたのは、1924年、ルドルフ.シュタイナー(教育者、人智学者)である。1920年代、ドイツは近代科学が急速に進歩し、農薬、化学肥料の利用が盛んになった。しかし、化学肥料の効果は長く続かず、農産物の連作障害による収量の低下や種子の劣化が激しくなり、生産者は当時の農学者の指導から離れ、その解答をシュタイナーに求めた。
シュタイナーは、その原因を宇宙や天体、地球と月の引力の関係から生命の循環を説明し、農業生産は、自然界との共生の必要性を説いた、輪作体型の必要性を東アジアの水稲地域が2000年以上連作している事例から、陰暦による作物体型の必要性を説き、化学肥料と農薬に依存する農業生産の限界と危険性を示唆している。
現在、EUに広がったバイオダイナミック ファームの基礎になっている。
有機農業は、生産者と消費者が自然環境のなかで持続しながら共生し育成する精神を失って、生産することは出来ない。永続性を維持し安定した生産を継続するには、単年度の生産性だけを追求しては確立できず、一定の輪作体型の確立が必要であり、その確立には、消費者の農業への理解と協力が無ければ維持出来ない。
農業は、生命体から生命体に作り替えていく業務であり、仏教で教える生命の輪廻と同じである。農業は大地との共生であり、単年度の生産量で計画する作業ではなく、3年、5年のサイクルから圃場全体の生体と環境バランスを整える業務である。
圃場全体を全ての生命体に委ねる業務である。
農地は個人資産であるが、その大地に生息する全ての有機体の生命と共存する自然の価値を持続する業務である。
2006年12月に可決した「有機農業促進に関する法案」が次への1ページを開く道であってほしい。同時にこの法律が制定されるまで、多くの真面目な生産者の犠牲者が存在していたことを忘れることはできない。
■野菜を変えることはできるか
2007年3月16日~18日にかけて、滋賀県立大学で「農を変えたい!全国集会in滋賀」が開催され、農業技術の検討などを課題にして、約300人の生産者が一同に集まった。若い20才代~70才代まで様々であったが、始めて若い人々が農業に目を向ける姿は初々しく、喜ばしい光景であるが、過去の立派な蓄積されていた技術の多くが継承されておらず、次への課題の大きさに不安だけがよぎる。
国民の一人でも多くの人が農業の実態を知り、農業そのものを知ることが次への高品質農業への転換の道である。
国や地域が作り出す農業の生産スタイルは自然界への責任制を表し、その国の社会的モラルを表している。残念ながら日本の農業生産スタイルは、これまで自然界への責任制が見られず、むしろ自然破壊によって生産されてきた。
社会的モラルの低下はそのまま農業生産に表れている。
多くの栄養学者や医薬学者は食品で摂取できない成分は薬やサプリメントで補うことを進めている。ドイツの栄養学者クーナウの次の言葉は大変興味深い。
「多くの農産物は、水分、タンパク質、脂質、炭水化物、繊維質、ミネラル、ビタミン類、そして微量栄養素で成り立っている。しかし、その成分だけを合成して製品が作られ、人類の食生活が確立される構造には至っていない。まだ人類の科学は未開な部分が遙かに多く、生命の有機構造の観点からみると、現在の科学はまだ第一歩に踏み出した状態である」
薬やサプリメントに依存する食生活に警告をだしている。
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