CREATIVE COOKING COLUMN

長寿と健康の意味

■生かされている命
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宗教家の人々の言葉に、我々は「生かされている」「生まれた時から死へのページを捲り始める」と教訓をたびたび戴く、健康に生活していると、いつものお坊さんの講釈、説教と聞き流す事が多い。
「生かされている」と云われても、「単にそうかなあー」と聞き流しやすい。
日々の食事で、生命とか、生かされていると考えて食べる事は、先ず少ない。

しかし、もう一度食品を見直して、計測してみよう。
普通に1合の米を炊くとその時の重量は、精白米で160g、米粒では約6、000粒である。
6、000粒の米粒は籾が付き、胚芽が着いている場合は生命があり発芽する。1粒の米粒は発芽し次の生命へと転換できる。
発芽し生育すると稲穂を作り、1粒から、200~300粒も付け、成長すると次の米粒を生み出す。
ニンジンやバレイショ、甘藷、里芋などは、固体のどの部位を小さく、1cm程度カットしても発芽する。固体全体が次の生命を宿している。全体が生命体であり、数百の次への生命への転換ができる。
胡麻や大豆は種子であり、全て生きている。
野菜も果物も全て生きている。
魚や動物だけが生きものではない。
1食を食べることは米だけを見ても6、000の命を戴いており、多くの生命体を戴いていることを「生かされている」と教えている。

平成16年の人口動態調査をみるとその年に寿命を終えた日本人の数は、1、028、602人、その内、天寿を全うしたと考えられる、老衰で無くなった人の数は24、126人である。女性が約2万人、男性が残りの約4千人である。
自殺者は天寿を全うした人よりも多く、30、247人である。
自殺者の数の多さは「生かされている」この宗教家の教えが生かされていない事に気付く。
100人の死亡の内、2.45人しか天寿を全うされていない。
毎日、生かされ、戴いている生命の数を数えると少し寂しい数字である。
現在の日本は戦時中でもなく、平和な国家である。
高齢化社会であるが、天寿を全うされた数字を見ると決して健康的国家とは言い難い。
高齢化は天寿が全うでき、楽しく老後を生き延びなければ、生かされた意味が薄れる。

■医学の進歩と病気予防意識の低下
医学の進歩は、多くの不治の病とされていた症例の多くを快方に、難病の多くを解決に導いた。ガンの早期発見方法の確立や延命効果の高い治療方法、脳血管疾患のMRI画像での早期発見並びにその手術技術の進歩、どれを取り上げても賞賛すべき科学進歩である。
しかし、科学技術の進歩とは裏腹に自身の予防意識の低さに大きな課題が残されている。
特に多くの生活習慣病は自身の食生活によって生じており、食生活によって病気が予防できる。予防には、正しい食生活が最善であるが、正しい食生活が実際に実践できる教育がされていない。

食べるための調理技術は、科学の進歩によって作られたのではなく、必然的に作られてきた。調理の多くは、技術的進歩から工夫され、新たな創造によって作り出され引き継がれている。
味覚の追求は調理技術によって作られてきた。
調理の味覚、美味さと美味さから分析できる栄養素は一体であり、味覚の良し悪しは調理技術の良し悪しであり、素材の栄養と調理後の栄養の変化から吸収や消化を分析するのが栄養学である。
栄養学は調理の前後と摂取後の吸収を分析によって解明する科学である。
これまでは農学と栄養学にも距離があり、医学とも距離が存在していた。この距離を縮めなければ、予防医学は全体を捉えられない。

大学の農学部の看板が最近では生命科学の名称に変更している。
農学も栄養学も一体であり、医学も生命科学であるはずである。
調理の技術は科学の進歩と同じように進歩し、多くの味覚を作り上げ、簡便に美味しく食べたい味覚を作り出した。
生命科学は、調理の技術を分析し科学的効果を解明し、次への健全な生命への誘導、実践できる科学的、調理技術への道を示す業務である。
日々の食生活の科学的な認識とその実践が健康な高齢化社会を維持する基礎となる。
人類は、多くの生命を戴き輪廻している、最近の人体動態調査を分析すると自身の健康を考慮した食生活ではなく、多くの生命を無駄に摂取した食生活が継続していることを示している。
玄米を無理に食べる必要もなく、菜食だけを進めても継続することはむしろ困難である。牛肉や豚肉、鶏肉を避ける必要はなく、効果的な調理から最適量を摂取し、野菜はどのように調理するとバランスが取りやすいのか、簡単に実践できる方法を解説することを目的にした。

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