CREATIVE COOKING COLUMN
味覚の慣れと、美味しい調理方法
■京料理の味覚
江戸時代、江戸から京都にやってきた町民は、京料理の感想は、決して、ほめて書いていない、多くが批判的であり、なかにはぼろそくに貶している。
味の薄さ、器の大きさの割りに中身の量が少なく、煮付けた料理が多く、鮮度の良い魚は川魚ばかり。料理の出し方にも、一度に料理を全て器に入れて出さずに少量づつ、「ちょびちょび」と出される。江戸時代の町民が京都の料理屋に腹を減らして入ってくると、いらいらしながら食べていた事が想像できる。
大きな器に少量が盛られ、一口で食べてしまうと次ぎの料理が出るまでが長く、いらいらとしながら待つていたはずである。
京に美味いものなし、満足できたのは豆腐だけと馬琴の紀行文にも書かれている。
江戸の街も浪花の街も早食いの食事が多い、大衆料理の代表になっている「そばにうどんそして寿司」早食いの見本的な料理である。
商人や町人はゆっくりと食事を楽しむ風習ではなかったと考えられる。
大阪や東京では、今もゆっくりと昼食を食べる習慣は少ない。
京都の雅は、江戸の町人には理解されていない。
京料理の悪評の中身はほとんど変わらず、腹が減っているから食べに行くのに、一品一品をゆっくり出されるとついいらいらして、人を田舎者扱いか、馬鹿にしているのか、全く腹が立って、腹が立って、味覚を味わう余裕がなかったとぼやく人が多く見られた。
お寺の見物は素晴らしいが、料理は、何よりも量が少ない、そして高いと良く聞かされた。
東北に行くとその表現はもっとひどく、むしろ京都人に田舎物として馬鹿にされたと思っている人が多いのに驚いた。
今では京料理を理解する人が全国的にふえているが、その基礎には茶道の全国的な普及から茶懐石料理の良さを知る機会が増えたことが見逃せない。
不思議なことに、こぎれいな料理屋の親父さんは、京都で修行していた事を誇りにして語られる。京都の修行は厳しかった、皿の洗い方、包丁の研ぎ方、器の片づけに、裏方の仕事のうるさいのには、驚いた。それに素材を大事する調理修行は大変厳しく、懐かしく、そして自慢にもなっている。
■味覚のなれとメタボリックシンドローム
東京の人々に京料理の真髄を教え広めたのは、京都の社家の息子、北大路魯山人とも考えられる。多くの関東地域に在住していた文人を集め、実際に調理を作り、器を作り、京料理の良さを実践し、教えることから理解が広がっていったのではないだろうか!
魯山人の味覚の教えは、素材が持つそのものの甘みを引き出すことが調理の真髄であり、味覚を知る根底であることを教えている。
「素の味を知れ」魯山人の教えである。
刺身が嫌いな日本人は少ないが、刺身は素材のそのものの味覚である。
寿司も同じである。ネタと米の素材の味覚である。
そばもうどんも良く似ている。
魚の良さを見分けるのに、アブラがよく乗っていると表現する。
丸く太り、アブラの乗り方が良い魚が美味しい魚の代名詞になっている。
痩せた魚を美味い魚とは云わない。
魚のアブラにはDHA、DPAなど健康に必要な脂質が多い。低温になっても白く固まることがなく、摂取しても血管の内部でへばりつき血栓などの原因にはならない。
魚と同じように畜産物もアブラが乗っていることが美味しい代名詞になっている。霜降り肉がその代表である。
動物性脂質は、内蔵脂肪が増加しやすい。
常日頃、摂取内容と血液検査のデータを把握していなければ、判断できない。
重大な疾患や、健康診断によって始めて、メタボリックシンドロームを確認でき、常日頃の無意識の食生活では、どうしてもアブラ身の多い肉類が美味しく、ついつい続けてしまう。経済的に動物性の食品も魚や野菜の多い食品も価格的な差がなく、意識しなければ摂取のバランスが取りづらい。
脂質の多い部分には、総コレストロールや内臓脂肪が増加する原因を作るだけではなく、畜産の肉や養殖で利用される、ホルモン剤、抗生物質などもアブラ身の部分に蓄積されている。脂肪の多い肉類と赤身の肉類ではカロリーは3倍ぐらいの差になり、100gの重量で1食分に必要なカロリーを摂取することになる。
養殖の魚は平均して、あぶらが乗っている。反対にあぶら乗りすぎている。天然と養殖では同じ魚種、鯛やハマチなどのカロリーは50%~100%の増加になっている。
畜産物もあぶらが乗りすぎている。
フライパンで調理されるとアブラとアクになる部分は全て、調理され食べられることになる。肉に付いているアクもアブラも気にせずに日々食べ続けている。
市販されている肉で自然の肉は猪か鹿肉以外は全て家畜であり、その多くが、抗生物質やホルモン剤のお世話になっている。抗生物質やホルモン剤は脂肪質に蓄積されやすい。
脂肪分の含有率こそが美味い肉の代名詞にかわり、食べ続けている。
外食やファーストフーズほどアブラが多い。一口で早く味覚に引き付けるためにアブラ身を使う。
中食や百貨店の惣菜も変わらない。その上に調味料の塩、醤油、砂糖を多く利用し、味を主張している。
強い味に慣れされると一層強い味を求めがちなる。
薄い味は頼りなく、強い味に慣れさせ慢性化させることから客を引き付けている。
客の健康は基本的に無視されており、家畜の飼育する餌と変わらない。ファーストフードや中食に飼い慣らされる。
江戸時代に塩味に慣れすぎた江戸庶民が京都の薄口の味を批判していたのと変わらない。
これこそが日本人がメタボリックシンドロームを多発させた原因である。
■素材の旨味を知る
「磁性鍋」を利用して素材をそのまま直接加熱し、素材だけの味覚を一度知っていただきたい。肉類もそのままの味覚があり、肉質による味覚の違いが解る。
余分な脂質は簡単に分離し、流れ落ちる、脂質が除去されるが良い肉は味覚が濃い。エセ黒豚やエセ地鶏は直ぐ判別できる。
干物や生の魚も加熱するとそのままで美味しく食べられる。
バレイショやカンショ、葉の野菜、ブロッコリー、菜花どの野菜も鮮度と品質による味覚の違いがはっきりと解る。酸っぱい果実も遠赤外線照射によって味覚が変わり、まろやかな完熟した味覚に変化する。
調理は素材の味覚が解り、始めて調味料の量を工夫する。素材の味覚は均一な味はなく、同じ味は存在しない。同じ樹に実っていても、果実一つ一つに違いがある。樹に実る場所の違いからも味覚は変わる。野菜も米も産地によって、収穫時期に味覚は大きく変わる。
素材の味覚が解らないのに調味料を加えることは、調味料の味覚を食べているのと変わらない。メニューとレシピは一つのセットになっていることが多いが、素材の味覚を無視してレシピを組み合わすことは、調味料で食べているのと変わらない。
多くの料理教室の教えは、始めからメニューとレシピを決めている。
素材の味覚は常に違いがあり、素材の質の選択をせずにレシピが決まるはずがない。
品質の悪い食材を選択すれば、調味料で味を決める以外に方法がない、栄養指導や調理指導では、始めから品質の選別が出来ないから調味量で食べると無難である、教えているのと変わらない。その結果、日本中の味覚が、脂肪過多、塩分過多、糖分過多を作り出している。
調理は何よりも素材の選別が基礎であり、その次が水の質の選択、火や熱の質の選択が欠かせない。
素材の味覚を選別するには、波長の領域と密度の重要性が確認できる。
気になること、質問なんでも歓迎!お待ちしています!